小論、アクティブラーニング、「坊ちゃん」の感想

オールラウンド渡辺です。

高1・2年の学年末テストは昨日で終わったため、今日は夜の高2生の授業までは高3生の小論文と、数学を扱いました。

今日の高2の授業は模試直前の数学対策で、

・正弦定理、余弦定理、加法定理
・相加相乗平均

などについて、解説をいたしました。


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受験生の小論文は、書き方の「大きな型」は出来上がっており、自分の主張に説得力をもたせる「根拠」選びも非常によいものをもってくるようになりましたが、昨日の時点では「根拠」を引き立ててくれる「譲歩(たしかに、…)」の部分とのつながりがなかったり悪かったりするせいで折角の根拠がボヤけて見えてしまっている、というところが改善点でした。

今日は、そこを意識して改善しつつ漢字や細かい文法(主語が1つだけになっているか、順接と逆接が正しく使いわけられているか、等)もチェックいたしました。
途中で、昨年11月に推薦入試(小論文・面接)で合格したMさんが塾へ来てくれ、彼女自身の受験勉強の際に使用したノートやらプリントやらを彼に見せたり、アドバイスをしたりしてくれました。
(Mさんありがとう!)
彼も彼女が書いた答案をいろいろと見ながら、「これまでの自分の文章がどんなけ幼稚だったかを思い知らされた」と言って、彼女が塾を出てからも非常に高いモチベーションをもち続けながら、最終日を頑張りきりました。

最後の答案は今までで一番自然な流れで説得力のある、文法ミスの少ないものだったので、あとは本番でしっかりと自分の実力を出しきるのみ!頑張ってほしい!


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昨日の高1生の授業では、テスト直後でちょうど「何の科目でもよい」という生徒が多いタイミングだったので、来年度からアクティブラーニング教育がどんどん入ってくることも見越し、立命の試験で出された「感性」の問題を使用してアクティブラーニングのような授業を行いました。

※マリオの画像引用は、英国『エコノミスト』誌電子版より

 

URL : https://www.economist.com/news/christmas-specials/21712064-pudgy-italian-plumber-who-lives-america-was-conceived-japan-and-loved

 

スーパーマリオの6つの画像(ファミコン・スーパーファミコン・ニンテンドー64など)を時代順に並べて、「ふさわしいと思う題名」や「感じたこと」を聞いてみたり、ビジネスを漢字一字で表すとしたら何を当てはめるか(理由も含む)を聞いてみたりしました。

マリオのテーマについては、生徒の1人が「時代と技術の流れ」という題名をつけ、

・技術の進化に伴い、ゲームや家電などあらゆる機械製品で映像や音声などがよりリアリティのあるものに近づいている(近づこうとしている)ことが読み取れる。
・AIなど「技術進化」が行き過ぎることへの懸念も叫ばれており、限度を超えて暴走した進化をしてしまわないような規制をかけることも重要。

といった回答をし、「ビジネス」を漢字一文字にという問いに関しては、別の生徒が「廻」という漢字を用い、

・「まわる」とも「めぐる」とも読め、「まわる」の読みいうと、ビジネスのイメージは製品やお金など世界的・経済的にいろいろなものが「まわっている」イメージだから。
・「めぐる」の読みでいうと、ビジネスを通すことにより、これまでの人生では関わり合うことがなかった人や発想やチャンスといったもの同士が「めぐりあっていく」、というイメージが「ビジネス」という言葉には含まれているから。

といった回答をしたりと、「正解の無い問い」に最初こそ困惑していましたが、それぞれに一生懸命考えながら、独創的で論理的な意見を出して楽しく取り組んでいました。
企業が即戦力を求めるようになり、大学入試でも面接や小論文の試験が増えていくと考えられる入試改革の中でこのような観察力・洞察量・知的好奇心・発想力といった力はこれからどんどん重要になってくると思うので、機会を見て授業などでも上手に取り入れていければと思います。

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先月の現代文の問題で夏目漱石の「坊ちゃん」を引用した文章を取り扱ったのですが、興味が湧いたので毎晩寝る前に少しずつ「坊ちゃん」を読み進めていて、昨晩ようやく読み終えました。

話の内容および主人公に対しては、下記のような印象がメインに残りました。

・階層社会、建前社会やマウンティング等に嫌悪感をもつ主人公には共感できるものがあった。
(これについては後述の通り、赤シャツや野だいこといった登場人物の背景事情についてももっと詳しく知る必要がありますが)
・主人公のクセで、直接本人に確認をせず、他人から聞いたことだけを鵜呑みにして人の判断をしてしまう部分はnaiveだと思った。

特に後者の「噂を鵜呑み」については、僕が商社営業時代に散々叩きこまれたことを思い出しました。
たとえば、僕が営業で販売先(A)と話をしていたときに、たまたまAが別の仕入れ先(僕の会社のライバル会社B)から格安で僕の会社と同じものを仕入れていることが発覚したとします。
このように一社だけ大安売りをしてしまうと標準価格がその価格へと押し下げられてしまうので、普通ならBは同業他社から非難されます。当然、僕の会社としても非常に迷惑な行為なので、僕が学生までの考え方でいくと、Bへ抗議に行くのがこの場合正しい行為だと思っておりました。

しかし、実際にはBへ抗議をしてしまうと、僕はBだけでなくAとの関係も悪化させてしまいます。
(最悪の場合、関係が切れてしまいます)

ポイントは、下記の通りです。
・Aは、もしかしたら「かつてBの倒産を防いだことがある」など、Bと特別な関係があるかも知れない、といったような「特別な背景事情の存在の有無」を僕は無視してしまっている。
・僕がBに抗議した場合、「Aが情報を漏らした」とBは判断するので、AはBからの信用を失う。
(だから、Bへ僕が情報を漏らしたことをAは非難し、僕はAからの信用を失う)
・Bも、金銭的にはダメージがないかも知れないがAとの恩義の関係が崩れることについては快く思わないかも知れない。
(だから、僕はBからの信用も失う可能性がある)

ということで、一般的な人間関係においてもたとえば「CさんとDさんの間のみで成り立っている話」というものもあるでしょうから、たとえEさんから「あなたの知らないところでCさんとDさんがこんなことを言っていた」と言われたとしても、全体の事情を把握せず(本人からも直接確認をとらず)にそういった一部分を他人から聞いただけでCさんやDさんへの評価を変えるのは、その時点ではまだ判断が早い(浅はかで、危険)と考えられます。
この手の勘違い(噂を原因とした)からくるトラブルはよく見られるので、あらためて注意していきたいと思いました。


「噂の鵜呑み」に関してはもう一つ、「ニュースやインターネットで情報を得る際にも、もっと気をつける必要があるな」ということも感じました。

どこかの記事で読んだのですが、科学技術の発展により誰でも安価(および無料)で簡単に高度な技術が利用できるようになるため、悪い例で言うと、本物と区別ができないくらいのクオリティで一国の大統領や、はたまた身近な家族などの顔や声や文章の書き方を用いた映像・音声・文章を偽造してニセのニュースや電話・メールなどがつくり出されることによって、「直接会って話す以外の情報伝達手段は、何も信用ができなくなる」といった事態が発生する可能性も出てくるわけです。

そうなると、直接会うというコミュニケーションが取れるようなコミュニティへの所属度合が薄い生活をしている人ほどそういった悪質な行為に対する抵抗力が低くなってしまうので、その所属度合を高くしていく動きはますます重要になってくるのではないか、といったことを感じました。

余談ですが、「坊ちゃん」の中で、主人公が「日向の延岡では、サルと人が半々に住んでいる」と言って当時の宮崎県の田舎具合を馬鹿にするシーンが出てくるのですが、むかし僕の父(日向出身)が「宮崎の人は平和だから、もし他府県の人から『宮崎はサルと人間の数が同じくらいなんだろ?』と言われても、きっと馬鹿にされていることすら気づかずに、『や、さーるの方が多いっちゃないとですかね?』とマジメに返すと思う」なんてジョークを言い、家族みんなで笑ったことを思い出しました。

「坊ちゃん」の話から来ていたとは知らず、意外なところで懐かしい記憶を思い起こさせてくれました。