塾長の受験時代を振り返って、思うこと

僕は、浪人してから初めて予備校に通い始めました。
二浪しており、一浪目は通っていた大阪の予備校の文系トップの「京大文系クラス」に無理やり入って頑張っていたのですが、先生方は基本的にとても高圧的で「そんなことも分からんのか」と常に皮肉られたり怒られたりするような雰囲気だったので、授業の雰囲気は僕にとっては、まるで軍隊にいるかのような緊張感に包まれていました。
名だたる関西エリート校のクラスメイトたちも、先生に怒られたり周りに馬鹿にされたりしないように「予習はほぼ全部正解してきて当たり前」くらいの必死さで頑張っている感じだったので、小中高と進学校を目指したこともなかった僕には到底歯が立つ環境でなく、そこでの先生たちは一部を除き基本的には恐ろしい存在でした。
「質問しても先生の解説がそもそも理解できなかったらどうしよう、、」という恐怖から質問もろくにできなかったので、実力に合わないクラスに入ったチョイスミスと言われればそれまでですが、賢いクラスメイト達に囲まれている人気の先生を傍目に見ていても「ああなりたい」とは微塵も思わなかったし、今も特に思いません。
縦の関係自体に魅力を感じないのだと思います。
数少ない「魅力的な先生」については、そのクラスでは英作文の先生くらいでしたが彼は京大受験生担当で実力こそ申し分ないのに、質問に行くといつも穏やかに対応してくださり、僕の拙い英作文のミスにも決して頭から否定せず「どう変えたら僕の文がもっと良くなりそうか」を優しく丁寧に解説してくださったので、「もっと良い文が書けるようになりたい!」という、まるでプレッシャーのなかった子どものときのような純粋な成長欲求を引き出していただいたように思います。
とにかく微塵も権威をひけらかさない方でした。

二浪のときは、一浪時の反省を踏まえ、プレッシャーの少ないマイナーな週3日制の予備校に通いました。
生徒の人数も少なく難関校を狙う必死な生徒の絶対人数も少なかったため優秀な先生に個人的な質問をしに行く機会も非常に多くもて、一浪時の英作文の先生のような魅力的な先生にも何人か出会えました。
そういった僕にとっての魅力的な先生に共通していたのは、「権威や縦の関係を使わない(『一人の人間として僕の意見を尊重してくれている』と、生徒ながらにそう思える)」、「生徒が理解できないのは講師自身の教え方が至らないからだ、という責任感を強くもっているので、決して怒らない」あたりかなと思います。

現在はこうして逆に生徒に教える立場になりましたが、上記のように僕にとって魅力的だった先生方をさらに超えて「自分が生徒だったらこんな先生に教えてもらいたい!」という姿を常に意識して今の塾での講師像をつくっていっていると、自身ではそう思っています。

悩ましいのは、商売という観点があったりで消費者サイドのニーズの違いが起こりうるので、今の環境では純粋に「学んだり考えたりすること、自分で選択していくこと、他者や社会や環境に貢献すること」などの喜び(大変さも含む)だけを教えるといったロマンあふれる仕事にするのは簡単ではないようにも感じています。
「経済なき道徳は寝言である」みたいな感覚でしょうか。

 

しかし、「前例がないから」とか、「メジャーなやり方じゃないから」といった理由にならないような理由で改善を放棄するのは簡単で、僕がしたいのはそういうことではないので、これからも紆余曲折はたくさん待ち受けているかも知れませんが、自分にできるベストを尽くして環境を改善し続けていきたいと思います。