「嫌われる勇気」、「幸せになる勇気」ともに読み終えました。
おっしゃる通り理論は理解できてもそれを実践するのが難しいです。
また、知人からご紹介いただいた、「嫌われる勇気」の岸見先生の記事も拝見しました。
岸見先生の下記の言葉が、現在の僕には印象的でした。
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私は自分が冷たいとは思いません。自分では「涼しい」と言っていますが(笑)。
ただ、それくらい距離がないと問題は解決しません。
カウンセラーも同じように悩んで巻き込まれてしまっては、カウンセラーと患者さんが共依存になってしまいます。
だから、カウンセラーも患者さんに嫌われる勇気を持たないと無理だと思います。
実際の私は、かなり悩むほうですよ。
すごく患者さんのことを心配するし関わりたいとは思うけれど、でもやはり距離を置かないとしんどいです。
別にその人を切り捨てるつもりは全くないですし、なんとか力になりたいと思っているのが基本なんですが。
勉強しなければ困るのは子どもであって、別に親の頭が悪くなるわけではない。
高校入試などで志望校の選択範囲がうんと狭くなるなど、責任は子どもが取らなければなりません。
だから勉強は子どもの課題なのです。
このことを親が認めれば、それまで無邪気にあるいは無意識に言ってきた「勉強しなさい」という言葉は、言ってはいけないし、そもそも言えないことになります。
およそあらゆる対人関係のトラブルは、人の課題に土足で踏み込むこと、あるいは踏み込まれることから起こるとアドラー心理学では考えます。
人の課題に土足で踏み込むこと、踏み込まれることから、対人関係のトラブルは起こります。
土足で踏み込まなければ、対人関係がこじれるリスクはある程度避けられます。
だから土足で踏み込まず、共同の課題にする手続きを踏めばいいわけです。
具体的に言うと「最近のあなたの様子を見ていると、あまり勉強しているようには見えません。そのことについて一度話し合いをしたいのですが、いいですか」と伝えるのです。
多くの場合「嫌だ」と言われますよね。
そうしたら、「事態はあなたが思っているほど楽観できる状況だとは思わないけれど、またいつでも相談したいことがあれば言ってください」と、
それで終わらせるしかないですね。
意思表示を子どもからしてきたときは、共同の課題にしていいと思います。
それは比較的安全なのですが、親が子どもの課題を共同の課題にしようとするケースは非常に危険です。
親は子どもに対して「何かできることはないですか」と常に言っておけば十分です。
そして、子どもが何も言ってこなければ何もしないほうがいいのです。
今この瞬間を丁寧に生きて、結果的に振り返るとずいぶん遠くまで来たなということはあるはずです。
天才たちは誰もがそうですよね。数学の問題を考えていたら時間が経つのも忘れたとかね。
そういうことを積み重ねていけば、立派な業績を打ち立てられるかもしれないし、そうでないかもしれない。
それはわからないけれど、とりあえずやることが楽しければいいと思います。
そして、そういう勉強や研究が共同体に貢献することがわかっていれば、努力し続けられるのではないでしょうか。
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実は、4年前に一念発起してオーストラリアへ渡る直前に父から「地上最強の商人」という本をプレゼントされておりまして、一冊を45週間かけて読むという自己啓発本なのですが、ニュージーランドで2周読み終えまして、今週から日本編として3周目を読み始めました。
アドラー心理学とは特に深い関係はなさそうですが、アドラーの考えに触れてから改めて読み直してみるとまた新たな見え方、理解の仕方ができて大変面白く感じています。
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今日のオールラウンドは大学受験生と、高2生の授業でした。
受験生は、いよいよ推薦入試まで2週間を切った生徒、同じく推薦入試まで1か月を切った生徒も出てきて通常のセンター試験を受ける塾生も日に日にプレッシャーを感じ始めてきています。
今日はとくに不安をもっている受験生2人と面談し、11月の細かい期限付き目標設定表を一緒に作成しました。
彼らの不安を少しでも和らげ、かつ彼らの成長過程をより細かくチェックし勇気づけることができればと思います。
11月受験組が合格してくれると塾としての実績は少しは証明できるので、今の塾生にも全力を尽くしつつ、集客のことも考えていく段階に入ってきました。
アドラーのような考え方がフィットするケースもあればそうでないケースもありChallengeは続きますが、喜びも試練も障害も含め、ここでしか得られないことを少しずつでも得られるよう引き続き進んでいきたいと思います。